Zero-Alpha/永澤 護のブログ

Zero-Alpha/永澤 護のブログ

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2022年11月30日(水)
Archives 現象学から #道元 へ 「修証一等」 未踏の地に向かって # 哲学
永井均『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』発売中@hitoshinagai1
そうです。つまり、ヴァレリーは「遺稿焼却問題」の思想家であった、ということです。
現代物理学または場の量子論的のゲージ対称性
古代の人間がその全てではないが円環的な時間を考えたのは自然の根底に潜む(現代の言葉でいう)回転対称性の様な何かを直観していたからかもしれない。#physics #philosophy #science
2022年11月29日(火)
@auto_manipulata ここ3年間は現代物理数学に集中しています。
@Crisis_Stopper 誤解ですね。
@Crisis_Stopper @auto_manipulata 単なる備忘録の意味
@auto_manipulata 何が目的だったのでしょうか? 対話する意思をあなたには感じられませんでした。最初から。ではこれで。Adieu
@auto_manipulata 純粋な実在論の間逆です。
@auto_manipulata なら何であなたのような記述になるのでしょうか?
@auto_manipulata 永井 均・入不二基義|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/m/m170c173402fa… 参考迄に
@auto_manipulata いちいち全て説明する時間がありません
@auto_manipulata 永井氏の著作を読んでください。実在性または事象内容性と無内包の〈現実性〉の決定的な違い。また入不二基義氏の著作も徹底的に読み込むこと。それが最低限の前提条件です。
@auto_manipulata だから同じ問題があるでしょう。あなたと他者の間に。
@auto_manipulata 独我論と独在論の決定的な違いについては永井氏の著作をよく読んでください。
@auto_manipulata 「現象」という言葉の意味をまずはよく考えてください。ではいったんこれで。
@auto_manipulata でも語り得てません。伝達と共有がなされていない。
@auto_manipulata 実在のレベルと実験のレベルの関係性はどう考えていますか? さらに実在のレベルと現実性のレベルとの関係性はどのように考えています?
@auto_manipulata 語ると意思疎通の違いは?
@auto_manipulata 「神が〜自我を結びました」の部分は除外して。。
@auto_manipulata ただし独我論ではありませんが。
@auto_manipulata もちろん語り得ます。というより語り得るという事態が不可避です。
@Yumihiki2010 訂正→横問題
@Yumihiki2010 修証一等は縦問題と横に問題の絶対的な一体不可分性です。
@hitoshinagai1 永井さんの哲学書と同様事象内容的な記述であると同時に超越的な記述になりますが14歳の終わりのある夜途轍もない濃霧の漆黒に風景全体が没し「私が完全に独りである=独在している」という強烈な感覚に襲われました。独在性の〈現実〉の経験は確かにあるということですね。全く説明不可能ですが。
永井均『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』発売中@hitoshinagai1
素晴らしい! https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1597384512702664704…
@PlanckScale 現在双対性パズルで終盤にかかっていますがバッファさんがコンパクト化された6次元を語る際に「この宇宙」という言葉を使っていることに感銘しました。
これについて近日中にまとめたものをアップする予定
@sitasimiyasui @MuhoNoelke @hitoshinagai1 十代の半ばに世界没落体験をしましたが現実感の全面的喪失は極限の〈現実〉感との遭遇でもありました。
@MuhoNoelke @hitoshinagai1 問いとして見ればやはり菩薩(道)をどう考える=生きるかということですね。
@MuhoNoelke @hitoshinagai1 道元の仏道の真摯な実践者であるネルケさんにいいねを頂き光栄です。
@MuhoNoelke @hitoshinagai1 独である悟り=証がなければ私の持続そのものである修=実践もない。また逆に私の持続そのものである修=実践がなければ独である悟り=証もない。#道元 #修証一等
@MuhoNoelke @hitoshinagai1 ネルケさんは独覚的なものレベルを汚れとし大乗菩薩的な実践レベルを不染汚としていますが私はまさにそれら両レベルが力のレベルとして一体不可分と考えています。つまりそれこそが道元の言う修証一等だと。
@yamauchishiro 学部時代に清水哲郎氏の『神学大全』ゼミに出て非常に面白かったのでカントとの繋がりに興味があります。
#フランツ・カフカ 『城』と #つげ義春 『ゲンセンカン主人』 https://pic.twitter.com/ZwMcDafoMg
フランツ・カフカと #ジョージ・オーウェル #1984_orwell https://pic.twitter.com/eMEZTOmXGj
フランツ・カフカと #在原業平 『伊勢物語』 https://pic.twitter.com/Vl00FVHpod
フランツ・カフカの #プラハ https://pic.twitter.com/zawPHflAlA
フランツ・カフカ『変身』 https://pic.twitter.com/5ePPaFpVVZ
フランツ・ #カフカ 『城』『訴訟』 https://pic.twitter.com/5fq0garhkj
フランツ・カフカ『城』② https://pic.twitter.com/bwFbr1nNVm
フランツ・カフカ 『城』 https://pic.twitter.com/XxxKlX4SsG
タイトルは直前ツイートリンク記事にも書いたが『訴訟』にすべき。カフカとオーソン・ウェルズ https://nico.ms/sm15668170?ref=thumb_watch?ref=twitter_share_extplayer… #sm15668170
@franzkafkabot 底の無い淫靡さ F・ #カフカ 『城』『訴訟』『変身』ヘッドライン画像は #プラハ にて(友人が撮影)#ART #cinema 若き日の友人との旅はその後の #哲学 の指針となりプラハで書かれた書簡は『ゼロ-アルファ――〈出来事〉のために』の端緒となった。  https://note.com/dharmazeroalpha/n/n04617e9b60e4…
2022年11月28日(月)
@Taroupho 「正しい滅び方とは何か」という議論になったら、これは再び社会的正当性のレベルにまで引き落とされる⇒まったくその通りでこれでは最初の穴倉へ舞い戻りますね。「ヒト」という言葉の選択いかにもがまずかった。
@hitoshinagai1 この「誰か」との不可分な関係性にある私は無内包の独在的な〈私〉だと考えられますがポイントは実践的なものです。
永井均『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』発売中@hitoshinagai1
少し先(51頁)には、「わたししかいない。わたししかいない。わたししかいない、…」と「なるほど、でも、かくかくの、だれかがいる… なるほど、でも、かくかくの、だれかがいる… なるほど、でも、かくかくの、だれかがいる…」との、「分割不能のエネルギー粒子」どうしの対立の話があります。
@hitoshinagai1 これにダイレクトに関係するのは道元の「非思量」の記述「たれわれを保任す」つまり「誰かが私を保任する(保ちつつ任せる)」ですがまた後ほどまとめたものを改めてアップします。
@MuhoNoelke @Yumihiki2010 @hitoshinagai1 ネルケさんとは私自身の「修証一等」の理解が違いますので後程それについてこのところまとめた記事をアップします。結論的には「修証一等の究極の含意は、世界超越的な力と世界構成的な力は不断に他方へと反転しない限りそれ自体としての力を働かせることができないということである」です。
2022年11月27日(日)
@hitoshinagai1 仏陀は身を以てその汚点を引き受けざるを得なかったその姿を示したと思いますがその初発の遺稿焼却問題だけは彼の周囲の人間と後の世の人間たちには伝わらなかったと思います。ですが仏陀も語ってしまったのだから他人を責められませんね。
永井均『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』発売中@hitoshinagai1
少し前に話題にしたポール・ヴァレリーの『ムッシュー・テスト』にはこう書かれています。「かくして、いかなる偉人にも間違いという汚点がついている。強力だと世に思われている精神は、どれも、まずはじめに、自分を世に知らせるという過ちを犯している…」(17頁)と。仏陀こそはこの典型ですね。 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1596666584864784384…
たとえリーマン予想を解くような(というよりむしろ解くようなインテリジェンスだからこそ) #スーパーインテリジェンス が取り組んだとしても瞬時に同じ結論に到達するはずだ。
つまり独在的な〈私〉の持続あるいは記憶の根拠として超越論的構成力が必要であると同時に、この超越論的構成力を現に働かせることのできる根拠が独在性の超越力なのだということである。以上はそれぞれ反対方向のベクトルだがこれら両ベクトルは同じ一つの〈現実性〉の力であるだろう。#哲学
カントの超越論的構成は究極まで突き詰めると彼自らが創出した《常識》自体を自壊させながら遥かに超出してしまう。その超出力(超越的な力)こそがその本来の力なのかも。 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1596666584864784384…
@hitoshinagai1 「天上天下唯我独尊」という仏陀生誕時の洞察は後に彼が「この洞察を語る=他者に伝えることは不可能」だと言って梵天勧請を断ったという伝承がまさにそれを示していると思いました。だがやはり彼も永井さんもその後語ったわけですがここにもまたそれが語られざるを得ない不可避性がありますね。
@hitoshinagai1 なんというか不思議な生きる力が湧いてきますね。社会または常識の世界に渦巻くありとあらゆるトラップをすり抜けさせるような力が。五年ほど前に永井さんのこの「純粋で不遜な自尊心」を「天上天下唯我独尊」という仏陀の言葉で呼び替えてツイートしたことを思い出しました。
2022年11月26日(土)
関連記事 #physics #science #philosophy https://note.com/dharmazeroalpha/n/n8a47c7277130?fbclid=IwAR20aa-gOnqyKlK7FTANZHX06fNoPHK0P_NfEiMtOtqKzCiKJZg6k7ae134…
https://www.amazon.co.jp/-/en/%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A1/dp/4065262496/ref=cm_cr_srp_d_product_top?ie=UTF8… 直観と直観に反するものをより高次のレベルで統一的に理解するという方法論・態こそ筆者が本書で示したかったことだろう。 https://www.amazon.co.jp/-/en/gp/customer-reviews/R3VRQYIKWWQJ9G/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4065262496…
posted at 16:29:40 削除
つまりリーマン予想のゼータ関数の虚数領域のゼロ点分布状態はまさにリアルな量子領域の揺らぎ=振動状態の形式を表現している可能性がある。驚異的な事実は、この分布状態が素数の分布状態を表現している可能性があることである。
量子領域でのエネルギー分布の最安定性を決める #宇宙 のマスターキーとリーマン予想のゼータ関数の虚数領域(量子領域)の ゼロ点分布を決める存在のマスターキーが同じである可能性が高い。
The zero-point distribution state of the imaginary domain of the zeta function of the Riemann prediction may exactly express the form of the fluctuation = oscillation state of the real quantum domain. This distribution state may express the distribution state of prime numbers.
The master key of the #universe that determines the most stable energy distribution in the quantum domain and that of existence that determines the distribution of zero points in the imaginary domain of the zeta function of the Riemann prediction are likely to be the same.
https://www.youtube.com/watch?v=Vf3PgAI2A70… NHKとのからみでは #立花孝志 氏の解説が参考になるのはもちろんだが、この動画での #堀江貴文 氏によるグローバル広告業界構造における電通の異形性解説は実に示唆的だ。三か月前の動画だが二人とも本質を突いているのでこの時期非常にタイムリー。
https://note.com/dharmazeroalpha/n/n64d5f2e048de?magazine_key=m695bff87e0bb… 陰謀論的言説を #政治 が養分=燃料として取り込むことでこの「政治」が新たな可能性の実現というポジションを与えられた「現実」となるプロセス。これこそが現代思想 の実践哲学的なコアをなす問題。だが不可視なので注目されることはない。
Even if we take infinite gradients to mean the whole set of inverse dimensions of quantum oscillations = the whole set of variations of quantum oscillations, we don't know if that covers the whole set of universes in the multiverse paradigm. #science #philosophy #physics
無限のグラデーションを量子振動の逆次元の全体集合=量子振動のバリエーションの全体集合という意味にとってもそれがダークエネルギーを含む #マルチバース パラダイムの宇宙の全体集合をカバーしているかどうかわからない。#science #philosophy #physics #哲学 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1596030340556292097…
2022年11月25日(金)
元記事 白い壁と黒い穴 ドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』「顔貌性」大学四年の時に友人と二人で『ミルプラトー』のこの章と序文「リゾーム」を原文で読んだ。trou noir mur blanc 
『ミルプラトー』にしても『差異と反復』にしても『哲学とは何か』にしても『記号と事件』にしてもあの頃は私に限らずすぐに原書で読んだと思う。自主ゼミを含めて。訳書がないので当然だが。『差異と反復』『ミルプラトー』は後で訳書もチェックしたが一般的に訳書は余り読まない。
私は『ミルプラトー』の序説「リゾーム」と幾つかの章についてなら原書で読んだこの国でもわりと早期の者たちに属すと思う。#ドゥルーズ
もう随分昔になるが〈言表分析〉の方法論を着想する上でドゥルーズ=ガタリの『ミルプラトー』「いくつかの記号の体制について」が大変示唆的だったことは事実である。
@Tsuyoko2020 道元的。「何一つ隠されていない」「奇跡 それは日常 茶飯」
@irifuji @_yurodivy ご参考になるかわかりませんが。
@hitoshinagai1 「人間の魂の深みにある秘技」つまり「図式」よりこの「否定」の方が深いのでは?という問いですね。カントは理性の要求に応じて召喚されるどんな根拠に対してもあいかわらず「それはいったいどこから来たのか?」という問いを発せざるを得ないと言っていますので同様な構造かもしれません。
永遠に失われた、永遠に生き続ける思索の結晶 『カント研究 by 久保 元彦』レビュー|永澤 護 /dharmazeroalpha #note 35年ぶりに再読して本日朝読了した。凄く強いクリアな光をでこれまでと現在そして今後の方向を照らし出してもらった。#純粋理性批判 #カント https://note.com/dharmazeroalpha/n/nbb0a1d5aa407…
@path110 ただ「世界の世界性」等視点の素晴らしさがありますが物語に留まっている点もかなりあると思います。
@path110 本物ですね。
ハイデガー『存在と時間』は院生の師匠がいて毎晩のように議論した。卒業間近の夜の地下鉄のホームでの彼との突然の別れが脳裡をよぎり深い悲しみが蘇った。
もちろん当時『グラマトロジーについて』もノートを取りながらかなり読み込んだ。#デリダ #現代思想
学部時代にデリダの『声と現象』をノート(現存する)を取りながらかなり読み込んだのは事実
タイトルは『カントにおける超越論性について――演繹論を導きとして』
2022年11月24日(木)
@shinrai669669 相転移ですね。
訂正→浅草演芸ホール
ハイデガーよりヘーゲルの方が大衆性というか通俗性が高いと思う。例えばヘーゲルの色々な講義録などは翻案して浅草演劇ホールでもいけるのではないか?
@shinrai669669 見解の違いはないです。不断の訓練プロセスとして見ているだけで。
@shinrai669669 達磨宗の(達磨宗の的な)即心是仏批判あるいは先尼外道批判は基本中の基本ですね。「突然変異」的な捉え方または用語は修証一等の道元的に見て危ういと思われます。
@shinrai669669 当然ながら黄竜派パラダイムのみでは自己を徹底的に突き詰めて問う「仏性」「古鏡」「有時」といった巻に展開されている道元の仏道はカバーできません。
@kimarx ひょっとしたらラカンの様に可算無限と非可算無限の違いすら理解していないケースが散見されるかもしれないので。まして実数の連続性さらには無限と連続性・離散性・コギトの関わりという哲学の究極の課題を根底から考えた #哲学 研究者など殆どいないでしょう。
@kimarx あるカント研究書の注で気づいたことですがカッシーラーは過大評価されています。ドゥルーズは著作を見る限りリーマン幾何学を内在的つまり本来の数学的レベルで理解し得ているとはとても思えません。実無限とスピノザの結びつけは所詮は哲学研究レベルの話ですので集合論レベルではないですね。
2022年11月23日(水)
永井均氏の #ドゥルーズ に関する言説に関連して私自身の #現代思想 関連リンクを貼っておくことにする。卒論はカントの演繹論の考察だが今は亡き久保元彦氏はそれを「デリダに始まってデリダに終わっている」と評した。それでもそれは紛れもなくカントの論考だった。 https://note.com/dharmazeroalpha/m/m81a05c353a2d…
@ryu17669655 https://note.com/dharmazeroalpha/magazines… りゅうたろさんはいつも哲学的にかなりセンスのいいことをつぶやいていますね。とりあえず興味のある記事があったら覗いてみてください。現在ようやく学生時代からこれまでの長期にわたる哲学的探究の方向性が固まり統合的な集大成の時期に突入しつつあります。ではまた。
@zhtsss という言わば「予想」の真偽を真剣に考える必要があるかもしれません。「現代思想」とは全く異なる次元で。
@ryu17669655 一筋縄ではいかないというのはカントなら直観形式と物自体を同レベルにしているから二律背反になるで終わりですが現代物理数学ではそう簡単にいかず観測問題等も含めると形而上学になってしまうので。実はカント自身が形而上学と純粋自然科学の弁別に成功しきっていないのです。
@zhtsss ドゥルーズが言っていた様々なことと彼の自殺はほとんど関係なかった(という可能性はかなり高い)。
@ryu17669655 時空という直観形式と私と実在または宇宙との相互関係ーカントの数学的アンチノミーとしても一筋縄ではいかないですね。
hitoshinagai1 探究というものは驚きが端緒であれ他の何かによってであれ否応なくなされるもので(気づいたならすでにそうなっていた)とりわけ哲学においては「言いたい」ことなど絶対に皆無でありここは決して揺るがないはずだと思います。
@shinrai669669 はい。まさにまだ考えた(考えられた)ことのない未踏の地を探究しなさいということです。そこに通常の「私」はありません。
@shinrai669669 #道元 は「不思量底を思量するには、かならず非思量を用いるなり。非思量に誰あり、誰我を保任す」(『正法眼蔵』「坐禅箴」の巻)と語っていました。「誰か=非思量」が、<私>を支え保っている限りこの一人称は除去不可能だと思われます。
@shinrai669669 通常レベルの「私」の探究ではありません。
Retweeted by 永澤 護/dharmazeroalpha
@shinrai669669 道元はもちろん仏道の基本ですがそれを前提に私が念頭に置いている探究課題は私と「非思量」の関係性です。
より正確には演繹論と図式論が学としての形而上学自体の導出過程であり同時にその究極的根拠そして図式論が導出過程・導出根拠であると同時に学としてある形而上学自体の最も端緒かつ基底にある〈作動原理〉である。#science #philosophy #哲学
2022年11月22日(火)
@shinrai669669 たき木と了心なら核心部ですね。
@shinrai669669 なるほど勉強になりました。ありがとうございます。
その問題に関わる私自身の学生時代以来の #哲学 探究の方向性については昨日来概ね35年ぶりに久保元彦氏の『カント研究』を熟読してあらためて確信を得た。『 #純粋理性批判 』演繹論・図式論・原則
モデル的なというのは自分にとっての手本という意味ではなく「数学と純粋自然科学」をレオンハルト・オイラーとともに最高レベルで一身に体現したモデルとして。 #カント 自身はそれら両者(数学と純粋自然科学)との差異において「学としての形而上学」の人類史上初めての創出を目指した。#哲学
私は所謂理系では全くないが理系の人間になら飛び抜けて偉大な著名人で通る他ないこの人物つまり #ダニエル・ベルヌーイ を同時代人で彼宛の重要な書簡もある #イマヌエル・カント が自らの探究にとって特別なまたはモデル的な意
味で意識していたのではないかと思った。
@shinrai669669 黄竜派のパラダイムをそのまま道元が採用するとは思えません。
@shinrai669669 上記二つの「大覚」と「君の心」は同じだと読んでいいのでしょうか。
@shinrai669669 そこで道元はどのように言っていますか。またどのように誤り訂正しているのでしょうか。
@shinrai669669 どのように誤り訂正しているのでしょうか。
https://www.amazon.co.jp/-/en/gp/customer-reviews/R3VRQYIKWWQJ9G/ref=cm_cr_arp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4065262496… #science #physics 特に第5章「物理的直観」はその根本的な方法論(態度)において『物理数学の直観的方法』の長沼伸一郎氏に通じるものがある。
@hitoshinagai1 ただし全く別の構図においては亀裂または裂け目的なレベルは枢要な位置を占めると思いますが。
@hitoshinagai1 今思い出しましたが「ひび割れたコギト」というドゥルーズの言葉ほど彼の「超越論的経験論」の哲学としての驚くべきつまらなさを示すものはあまりないと思われます。
@shinrai669669 また #道元 も同様だと見ています。私と空の不可分な関係性を探究したと。#哲学
@shinrai669669 その意味で私はまさに空(シューニャータ)と私の関係を探究しています。
@shinrai669669 譬喩に頼らずに現象または現実を記述する困難さがありますね。
@shinrai669669 実は本当に哲学的な問いはようやくこれ以降に始まるのですが十分に吟味しないと正確には述べられません。
@shinrai669669 つまり現象とはこの私の意識の志向性の相関者として原初的に与えられたものです。したがって「現象とは何か」という事後的な本質規定の問いは現象自体を科学に還元してしまわざるを得ないとされます。まあ結局既にあらゆる問題が前提されてますね! (苦笑)
@shinrai669669 これ以上簡単に言うのはリスキーですが現象学の学としての構造分析の骨組みまたは前提は「意識の志向性」になります。
@shinrai669669 それは既に全面的に科学の言語を前提しています。
@shinrai669669 訂正→呼んで
@shinrai669669 つまりこの私に現れた現象を公共的な科学の言語に還元して記述していますが現象学はそれを脱還元します。その操作を現象学的還元と読んでいます。しかし現象学は記憶・私の持続・時間(何らかの特異なバージョン化を経たものを含む時制と時間の相)を論の前提にしていることは科学と同じです。
2022年11月21日(月)7 tweetssource
かなり基底的な哲学の問いだと思うが、ベルクソンとフッサール・ハイデガー・メルロポンティ(私見ではドゥルーズも入る)といった「現象学派」を本質的に分かつものは何か? そもそもそれは存在するのか?
#カント 『 #純粋理性批判 』内包量のアポリアと自由への問いをテーマにした27歳頃の草稿の途上(承前)網掛け部分は改訂付加しているがさらに吟味が必要でこの画像はまだ #photo 画像にとどまる。この記述の #哲学 的な含意はまだ知られていないと思う。
永井均『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』発売中@hitoshinagai1
残念ながら、そうなのですよね。 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1594120942212775936…
詳しくはまだまだ述べられないがこの記述の #哲学 的な含意はまだ誰にも知られていないと思う。
2022年11月20日(日)
Archives #ベルクソン 哲学を巡る雁林氏のツイートへの私の返信②|永澤 護 /dharmazeroalpha #哲学 #science #カント https://note.com/dharmazeroalpha/n/nba58087b734c…
Archives #ベルクソン 哲学を巡る雁林氏のツイートと私の返信①|永澤 護
@ganrim_ それゆえ一切の「生命と物質から成る宇宙の<形式>」それ自体を産出するレベルとしてそれ自体は一切の宇宙(実在性のレベル)の<外部>になるのかあるいは形式を産出するレベルにもかかわらずループ的トポロジーにより実在性のレベルに巻き込まれているのかでこれが究極問題だと考えます。#哲学
@ganrim_ ただ先に「カントの超越論的構成も初発の〈私〉の未完了相の働き」と述べた際の超越論的構成の働きAktusは無内包の現実性の<力>のレベルにあるものとして考えています。つまり「既に出来上がったものから再構成することはカテゴリーミステイクになる」といい得るための究極的根拠
@ganrim_ https://note.com/dharmazeroalpha/n/nededaab8acfb… 必ずしもここでの生命レベルと直接リンクしないかもしれませんがご参考までに。90年代の探究を記した作品ですが。時間直観の無限性とあるいは無限反復性と超越論性との関係性への問いは生命レベルにコア的にリンクするように思えます。#哲学 #ベルクソン #カント #現代思想
この「未完了相」に対応する #カント 『 #純粋理性批判 』における表現は超越論的感性論における「無限に進みゆく」であるがこの時間直観の「類比的表象」の「無限(性)」こそが問われなければならない。この無限(性)と超越論性との関係性への問い
@hitoshinagai1 もちろんこの「の」に途轍もない問題が潜んでいますが。
@hitoshinagai1 つまり全てを巻き込んだ「記憶」の問題ですね。
ここでの時空は広く「ブレーンワールド(braneworld)」と言い換えてもいい。#science #physics #philosophy  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89… #science #哲学 #physics
@hitoshinagai1 もちろんこの「の」に途轍もない問題が潜んでいますが。
@hitoshinagai1 仰るとおりベルクソンもそうですね。彼の場合時間を前提しているとも言えます。未完了相という鍵概念が現在過去未来という時制ではない相として空間化された時間と対比されていますがそれによるカント批判はヒットしていません。カントの超越論的構成も初発の〈私〉の未完了相の働きですので。
2022年11月19日(土)
もちろんそれとのコントラストでウルトラマンは大乗仏教(の弥勒菩薩の)ほぼ忠実な系譜
とはいえあえて #ピタゴラス や #プラトン が探究の道標としていた幾何学的数的直観をアナロジカルに例示するなら、現代の物理数学に働いている( #アインシュタイン が洞察した様な)「ピタゴラスの定理」や超弦が存在する時空の「次元の数」の原理としての力が思い浮かぶ。#哲学
もちろんそれがどのような直観なのか言葉で表現することはできない。「幾何学的直観」とか「ピタゴラス的直観」とか名付けてしまった途端に「プラトニズム」と大差なくなる。
作品自体は非常に素晴らしいが、様々な「裁定者たち」のロジックは軌を一にして「汎優生主義」(的価値論)の様だ。#philosophy #哲学 #シン・ウルトラマン #cinema https://twitter.com/shin_ultraman/status/1593258635118882818…
本書が理解できればカムラン・バッファの一年生向けのハーバードの授業が理解できるということになる。
探究者プラトン #プラトン とプラトニズム|永澤 護
今年に入って入不二哲学を一般相対論、永井哲学を量子論とアナロジカルにとらえ両者を統合する言わば量子重力理論の #哲学 形而上学バージョンを探究しています。まさにこの方向でこそ入不二・永井哲学の前代未聞の革命性が示されるのではないかと思われます。#science #physics #現代思想
物理と数学を直観的方法でクロスオーバーまたは相互変換可能にする特に第5章「物理的直観」はその根本的な方法論(態度)において『物理数学の直観的方法』の長沼伸一郎氏に通じるものがある
2022年11月18日(金)
@thomasaqinas201 そうですね。その最も抽象的なレベルでは形而上学と最先端物理・数学が本質的に区別不可能になるのではないかと見ています。
ここまで過激に言い切ってしまうと中沢新一氏とその共感エリアの人々の顰蹙を買ってしまうかなとも思う(がわからない)。#現代思想 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1441378179369734144…
もちろん #仏陀 #Buddha 以来 #仏教 は最初から言語論的転回の巨大な運動という核心的な性格を持っているというのは明らかである。#龍樹 #世親 #道元 #philosophy #哲学
もし #空海 が現代に表れて「言語論的転回」という一時はやった言葉を耳にしたら(彼は寛容なので)単に苦笑しただろう。人類史上最初の言語論的転回は空海によって遂行されたわけだが無論それは彼が遂行したことの一断面に過ぎない。#Kukai #声字実相義 #philosophy #哲学 #現代思想
@omnivalence 有料記事で恐縮ですがこれが清水さんとも共有可能な私自身の立場の決定版の一つになります。 https://note.com/dharmazeroalpha/n/n4d63f6a55ef6?magazine_key=m9e03a319519f&s=07…
@omnivalence これもかなり問題点ですね。「本覚思想」パラダイムの罠 参考 『道元思想を解析する: 『正法眼蔵』データベースが示す真実』門馬幸夫著 「本覚思想・如来蔵思想批判」という道元自身の立場をテーマ化した作品|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/n6ef9691c7c12…
@omnivalence 参考 #現代思想 への影響は大きい。 https://note.com/dharmazeroalpha/n/n8968c365e739…
ミシェル・セール等の研究で知られる清水高志氏にいいねを頂いたのでこの機会に再投稿しておこう。別に感心はしないが #ドゥルーズガタリ の起源の一つがウパニシャッド #哲学 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1442996690013749249…
#プラトン はある直観に導かれながら問いを発見し探究し続けただけなので彼自身は #プラトン主義 と呼ばれてきたものと必ずしも関係はない。従って上記の「ある直観に導かれながら」に共感しながら問いを発見し探究し続けたとしても必ずしもプラトン主義者ではない。#哲学 #philosophy
175頁から176頁にかけてガブリエルのホルンが紹介されていて興味深い。体積は有限で面積は無限大
2022年11月17日(木)
@bioshok3 アプローチは物理数学主義では決してない。現代物理数学は究極的には形而上学としてしか存立し得ないのではないかという探究のスタンスを取る。
@lwrdhtw @hiraiyasushi1 両者とも時間をかけて辛うじて読了したが十全に読解し得たと言うにはまだ遠い。それほどの深度があるので例えばこの国の殆どの人にまだ真に届いていないだろう。まあそれはあり得ないだろうがもし本当に多くの人々に届いたら人々の世の中は劇的に転倒するだろう。#哲学 #philosophy #ethics
ただしこの画像に相当する頁は殆どが黄色網掛けになっている様に全面的に改訂付加している。
photo画像としてのカント『純粋理性批判』探究論考|永澤 護
記述は #カント 『 #純粋理性批判 』内包量のアポリアと自由への問いをテーマにした27歳頃の草稿の途上(承前)なのだが #photo 画像として投稿している。まだまだ吟味が必要。#哲学 #philosophy https://pic.twitter.com/ctJH72w9pI
ある頁の一つの数式の読解にかなり時間をかけてしまった。
2022年11月16日(水)
Archives #カント 『 #純粋理性批判 』内包量のアポリアと自由への問い 27歳頃の草稿の途上(承前)何故記号表現等の部分的な改訂があるのかについてはいずれ簡潔に述べると思う。概念的内容的な改訂は無い。
@lwrdhtw @hiraiyasushi1 これと『倫理とは何か』が言わばキングとクイーンですね。
https://twitter.com/sitasimiyasui/status/1592009322388914176… 「夏の売りつくし」ですかね。なかなか絶妙な配置です。
「 #まんだらけ 」に大変まずいことが起きてしまったな。大変素晴らしいところなのだが。 過去の中野ブロードウェイ|永澤 護 /dharmazeroalpha #note
入不二基義氏は永井均氏とともに久保元彦氏のカント講義に言わば勝手に出ていたと言う。何と素晴らしい、驚異的なエピソードだろうか。#哲学 の記念碑的な交差点がそこにあったのだ。#純粋理性批判
https://twitter.com/irifuji/status/955000981128847360… これは私にとって非常に感動的な驚きだった言わば記念碑的なツイートである。
https://note.com/dharmazeroalpha/n/nbb0a1d5aa407… 天才的なカント研究者だった亡き久保元彦氏の記憶 #純粋理性批判
https://note.com/dharmazeroalpha/n/n92c4dca89bff?magazine_key=mcffc411ae678… #ショーペンハウエル
力それ自体=超越論的統覚の働きAktusとしては #ショーペンハウエル 哲学の意志になる。この根源的な枠組み(形而上学)に関しては #ニーチェ に新規性は全くないと思う。もしショーペンハウエル自身がニーチェを読んだらそう価値評価するだろう。#philosophy #science
2022年11月15日(火)
思想との無関係性 世界の内部的なパースペクティブを様々に語るものとしての「思想」の死滅
特に #黒沢清 『 #CURE 』の批評が核心。そこで述べられている様に、この作品に登場する「場所」取り分け廃病院で役所広司がある鍵となる過去の人物のイメージと出遭うその場所が持つ(社会と法の外へと連れ去る)力は唯一無二だ。
これも批判ではない。説得力ある形で必ず説明できなければならないと言っているだけ。肝中の肝なので。
十数年以上前から疑問なのだがドゥルーズは一方で条理化された空間との二項対立で滑らかな空間を称揚し他方では収束に対する二項対立で発散を称揚しているがいったいどう説明できるのか?(この問いの意味すら理解できないドゥルーズ研究者は無意味な存在)#哲学 #現代思想 #サイエンス #science
イメージは図式機能の産物|
所謂イデアを含むイメージは写像=変換の効果であり対称性・双対性を内包した写像の操作=図式機能がその根底に働いている。超越論的図式機能は力であり #プラトン のイデアは #ショーペンハウエル の言う表象に含まれる。
宇宙を解くパズル 「真理」は直観に反している まだ137頁迄だが(136頁から137頁にかけて時間の合間を縫って延べ2日以上かけている)弦理論の核心である双対性の理解へと導くこれ以上ハイレベルの入門書はないのではないか。
2022年11月14日(月)
#カント 『 #純粋理性批判 』内包量のアポリアと自由への問いをテーマにした27歳頃の草稿の途上(承前)|永澤 護 /dharmazeroalpha
TwitterJPの社員ほぼ全員いらなかった様だ。
アルチュール・ランボオ風の佇まい https://twitter.com/dwangojpnews/status/1591883599338405888…
数学がどれだけ高度化(例えばトポロジー化・圏論化)しても代数学の基本定理に基づいた連続性と不連続性(離散性)概念が必須であることは不変である。
2022年11月13日(日)
丹治信春氏なので鋭い質問だったのは当然だが『純粋理性批判』のある複雑な構文の注の訳(同時に解釈)に関するものだった。丹治氏は私の研究発表時にデカルトによる『第三省察』「答弁」のある箇所の解釈に関しても核心的な質問をした。本物の哲学者として。
カント『純粋理性批判』を論の対象とした修論 『規則と経験――《批判》の成立及び展開として規定された自己形成過程の考察』|永澤 護 /dharmazeroalpha #note
先日来 #カント 『 #純粋理性批判 』全体を論の対象とした修論『規則と経験――《批判》の成立及び展開として規定された自己形成過程の考察』を読み返している。30年余り時間を隔てているが根本的に改訂すべき点はない。審査教官の一人だった丹治信春氏は一つの原書注に関して鋭い質問をした。
詩と哲学の狭間で #poetry https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1591603636135931906…
「みんなが 共感しきれないから 時間が つながれていくかのよう 永遠が なりたっているかのよう に ふとかんじる。それぞれの立場は それぞれの 理由があり、それを ふとぱっと 共感で よりそったあとに 本人を ほっとさせて 冷静な 考えをもたせてくれるような成長を 促す。」
「なんだかこのごろとても気が軽い。そこからみえる展開が、立ち位置がかわりこれまでと違った登場人物のいろんなものがたりのなかの立場をみせてもらっているからちらちらいろんな 物語映像があたまにでてきてその幅が 気持を落ち着かせてくれているようみたい。」
詩 https://note.com/2021starter/n/n41491870d35e…
2022年11月12日(土)
https://note.com/dharmazeroalpha/m/m8a1fc578bd43… #哲学 #現代思想
#カント 『 #純粋理性批判 』内包量のアポリアと自由への問いをテーマにした27歳頃の草稿②|永澤 護
@bioshok3 ご参考までに。https://note.com/dharmazeroalpha/m/mf5be72d0cd03…
2022年11月11日(金)
@bioshok3 トランスヒューマニズム
@bioshok3 ボストロムはオックスフォードつまり大英帝国の系譜を引くチャタムハウスの様な世界戦略司令塔のスポークスマンだとかなり以前から見ています。彼は嘗て継続的にかなり丹念に観測しましたよ。
@bioshok3 人間が汎用人工知能AGIを創造し得たという仮定のもとでその汎用人工知能が再帰的な自己更新を続けた結果誕生するという仮定で #スーパーインテリジェンス がどの様な直観形式を自己実装可能かという問題ですね。SFですが時空の余剰次元で上記反転自体を直観可能かも。
@bioshok3 まだまだ荒削りですが何かありましたら効果的な対話ができそうですね。
@bioshok3 物理数学的観点も入れた永井哲学へのアプローチです。<私>は0と1の狭間で不断に振動している|永澤 護
@bioshok3 〈数〉の(世界構成的超越論性ではなく)世界超越性(を認めるかどうかを含む)という問いでもあると思われます。
柄谷行人氏は非常に長い時間と熱量を以ってマルクスを何とか哲学的にもまともなものとして救い出そうとしていた様に見える。だがそれは無理だったというのが最終的な結論だと思われる。
柄谷行人氏は「それが何かわからなくても(だからこそ)命がけの飛躍をせよ!」と呼びかけている。それ(交換様式Dの力)はカント的な定言命法である。
もちろんこれは批判ではない。柄谷行人氏の現在過去未来への一貫した呼びかけの熱量についてのコメントである。 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1590962822280007681…
『力と交換様式』を読んであらためて思ったが、実は柄谷行人氏の本書に至るまでの思索とマルクスの『資本論』との接点は突き詰めるとさほど深くないのではないか。
@Taroupho タワマンの罠
@Taroupho なんだか贅沢過ぎる。
@Taroupho ギネスまたはエビスの黒とトマトジュースのハーフ&ハーフにタバスコでも素晴らしく美味しそうですね。
2022年11月10日(木)
電子ファイル化したカント『純粋理性批判』(図式論と原則の分析論)内包量のアポリアと自由への問いをテーマにした27歳頃の草稿|永澤 護
この内包量のアポリアは #哲学 史上最も普遍的な #ゼノンのパラドックス の別バージョンでもある。
2022年11月09日(水)
概念の再認機能を持つゾンビと持たないゾンビ ただしそれを見分ける外部領域はない。 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1589813340842622976…
アポリアとは「その〈自由〉は語り得る=理性によって理解し得る限りにおいて語り得ないものにとどまる」ということである。もちろん #カント には百も承知で彼は「そんなことは当たり前だよ君。だからこそ実践理性の〈行為〉が要請されるのだよな!!」と苦笑するだけだろう。#哲学
画像の記述から示唆されているがカントが超越論的統覚の総合的統一を手放さなかったのはそれが《我々=人間》の自由(な行為)の唯一絶対の根拠だから。たとえそれが除去不可能なアポリアと不可分であっても。だからこそ純粋理性の不断の自己訓練=自己形成が要請される(私の修論テーマ)。
陰謀論陰謀論仮設 真顔アカウント氏への返信|永澤 護 /dharmazeroalpha #note #陰謀論
#AI と #カント 『 #純粋理性批判 』を巡る問い ネオ高等遊民@哲学氏への返信|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/n0e684b292065…
@MNeeton この場合AIは拡張してカントの言う「我々人間を含む有限的な知的存在者」としてむしろ汎用人工知能AGIと考えていますが。有限的(直観形式を持つ)とは他者を含む環境との相互作用が必須ということです。
@MNeeton かなりいい着眼点ですね。二進法01の「マシン言語(機械語)」が数なのか言語なのかまたは数と言語を分離不可能な形で包摂するある働きそのもの(としてしか捉えられないもの)なのかという根底的な問いがあると思います。
ネオ高等遊民@哲学youtuber@MNeeton
今朝の読書会はカント『純粋理性批判』の序文
物自体やコペルニクス的転回について、AIお絵かきをモデルにわかりやすく理解できないかと色々話し合いました。
AIへの指示も、AIが描くのも、絵じゃなくて言葉だよねとか。
AIにとって絵は物自体で、言葉によってしか認識も表現もできないよねとか。
27歳頃にカント 『純粋理性批判』を素材に内包量のアポリアと自由をテーマにした論考最終頁|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/n55197e67ab3d…
2022年11月08日(火)
ただしある程度先の話になる。
#science #physics トポロジー的展開 経路積分から弦理論へ|永澤 護
@sitasimiyasui 全くその通りですね。さらに言うと、巷で「陰謀論」と呼ばれているものは当初から「陰謀論陰謀論」としてセットされていた発明品だったという推測もあり得ます。
真顔アカウント@sitasimiyasui
陰謀論という概念そのものを諸悪の根源に据えた陰謀論陰謀論というようなものもあり得そうですね。 https://twitter.com/Taroupho/status/1506592478627254276…
これは論考には違いないがより正確には大学院博士課程時の研究発表原稿だった。
ゾンビ性は二つの階層に分かれる。
《把握の装置》が欠如または解体消失している場合所謂「 #ゾンビ 問題」に繋がる。#純粋理性批判 #現代思想
先日27歳頃に #カント 『 #純粋理性批判 』図式論と原則の分析論を素材にして内包量のアポリアと自由な行為との関係性をテーマにした論考の草稿を見つけた。非常に昔の草稿だが時を経ても全く古びていないと思われる。新たに電子ファイル化していずれ全画像と共にアップする予定。#philosophy
2022年11月07日(月)
デリダ的パルマコンを巡る #哲学 的な問いでもある。 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1589571788853637120…
@miyadai 芸能の芸能性=未分化性を傷付きを媒介にした社会との《隙間=裂け目》のループ的な再帰化により高い次元での世界性へと突き抜けさせることが目指すべき方向でしょうか。この国(体)に未来の芸能が到来し得るかという問い
@miyadai 民衆性を
@miyadai 「芸能」は未分化であり傷付くことで回復する(という稀有な力を持つ)営みであるが故に「日本(という国体)社会」において民衆にとってのリーサル・ウェポン的な諸刃の剣としても存在していると思われます。民衆にとって必須の薬効であり同時に民衆の民衆性無力化させる毒にもなるという二重性。
永澤 護/dharmazeroalpha@XlGjfmYpCchopJ6
訂正 「→物理過程」
粒子モデルのファインマンの経路積分から弦理論への展開は物質過程のトポロジー的見方への移行による。
白河直子 奇跡の舞踏 #ART http://h-art-chaos.com/works/
資本主義の現在 『現代経済学の直観的方法』by 長沼 伸一郎 を巡って|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/nf629ef2401bc…
資本主義という公理系 信用創造と不完全性定理 latest version|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/n8193dec87cbb…
26歳頃に当時の指導教官実川敏夫氏に提出したデカルト『省察』ラテン語ゼミレポートの最終草稿|永澤 護 /dharmazeroalpha #note
#デカルト『第三省察』のコア「絶対的に到達不可能な数」が数える力とともに〈私〉に与えられているということ。
当該論考 内容的改変無し #デカルト <第三省察>を巡る試論 <私>に絶対的に先立つ差異の受容|永澤
#浅草 屋形船 花やしき 浅草寺  https://note.com/dharmazeroalpha/n/nd61cb3065fec…
#カント 『 #純粋理性批判 』図式論と原則の分析論を巡る二十代のメモ #note
2022年11月06日(日)
二十代半ばの実川敏夫氏の #デカルト 『省察』ラテン語ゼミレポート末尾の一部 #形而上学
実川敏夫氏の当時のゼミのテキストセレクションは最高だった。『省察』ベルクソン『物質と記憶』ライプニッツ『形而上学序説』等。素晴らしい。 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1589086819312111616…
二十代半ばに当時の指導教官実川敏夫氏に提出した #デカルト 『省察』ラテン語ゼミのレポートの最終草稿。全文はnote記事にしてアップした。 #philosophy #哲学 https://pic.twitter.com/Bb3XbedRv0
#カント 『 #純粋理性批判 』図式論と原則の分析論を巡る二十代のメモ② #science #philosophy
カント『純粋理性批判』図式論と原則の分析論を巡る二十代のメモ #哲学
2022年11月05日(土)
つまり「気づくこと」と「気づかないこと」は超越論的(統覚の)問いのレベルで分離不可能になり癒着する。
当たり前で言うまでもないが以上はすべて遡行的事後的な記述であり、「気づくまたは気づかないこと(根源的事実のレベル)」という一般化された記述は事後的(超越論的)にしか可能にはならない。
カント自身に跳ね返って突き刺さる問い
「そもそも哲学書が可能か?」という問いでもあるだろう。#哲学
この超越論的レベルは「気づくまたは気づかないことが可能か」という問い自体の可能性の条件
気づくまたは気づかないこと(根源的事実のレベル)「が可能な地点」が超越論的統覚レベル以外にあり得るか?という問いを #カント なら投げかけそうに思える。もちろんこの問いは彼の「形而上学(としての哲学)は可能か?」という問いそのものだ。
汎用人工知能とは #カント の言う(何らかの直観形式を備えた)有限的知的存在者一般という集合の部分集合であり《我々=人間》もその同じ集合の部分集合である。#哲学 #science #AI
再投稿 #人工知能 #science #philosophy #Ai https://note.com/dharmazeroalpha/m/mf5be72d0cd03…
枢要な問い「来たるべき #汎用人工知能 #AGI はゾンビであり得るか?」 #philosophy #science #哲学 #現代思想 #AI
永井均『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』発売中@hitoshinagai1
いずれにせよ「形而上学は可能か」という問いと「ゾンビは可能か」という問いは重なることになる。「ゾンビは自分がゾンビだと気づかぬことができるか」という問いと「形而上学者は自分が形而上学者だと気づかぬことができるか」という問いも。後者はどちらもそして同じ意味で!できるのでは?
@hitoshinagai1 この方向で私はB版を支持しています。
@hitoshinagai1 つまりB版の核心として読むべきだった失敗例かもですが明らかにやるべき探究は前人未到の領域だと思います。
@hitoshinagai1 ハイデガーはB版を軽視してしまったので。
@hitoshinagai1 第1版を重視した(自己触発と構想力の「根源的総合」に核心を見た)ハイデガーのカント論はそこを狙った一例かもしれません。永井さんの方向とは違うかもしれませんが。
いや、違うな。たとえそうだとしても、B版のカントは(そのことを含むとしても)明らかにそれ以上のことを言っているな。
@hitoshinagai1 ベルクソンは経験的レベルの探究の文字通り最高峰でヒュームとともに超え難い。
2022年11月04日(金)
#浅草 #花やしき 前にて https://pic.twitter.com/FzB57CUaAd
浅草花やしき https://pic.twitter.com/vW4dnSRqMr
浅草花やしき https://pic.twitter.com/KZZClZZhIe
@hitoshinagai1 経験的レベルの話の典型例が①ヒュームのデッドロック②ベルクソン→ドゥルーズの循環的ロジック(論点先取的時間の総合)③ヘーゲル的開き直り?ではないか。
@hitoshinagai1 訂正 →簡略に →見切ったため
@hitoshinagai1 簡略な言えばB版に書き直したカントは1番目から2番めまでの総合は実はそれ自体としては語り得ない(哲学言語でも既に概念化された形で事後的にしか記述出来ない)と見切ったからためそれらをカットしたのだと思われます。経験的レベルの記述になってしまい総合の対象は循環的にしか記述不可能だと。
永井均『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』発売中@hitoshinagai1
しかし「繋がりうる」ものと「語りうるもの」とはじつは同じことなのかな。A版の演繹論でいえばじつは3番目の「概念における再認の総合」から全てが始まるのだとすれば(そしてB版は実質的にはそう言っているのだとすれば)そうなるのでは?
@hitoshinagai1 ありがとうございます。もしカントが永井先生の作品を読んだら思わず膝を叩いて(あるいは深い沈黙の表情で←こちらの可能性の方が高いでしょうが)大変喜んだと思います。
@hitoshinagai1 と同時に(カントなら必ず気づくはずですが) #デカルト 『省察』が引き出したコギト(先生と最近著最後の注で指摘された「合理的心理学」の恐るべき潜勢力)に目を見開かされて驚愕したのではと思
進入禁止のその先へ #東京 #Tokyo https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1588396667686248448…
#資本主義 https://pic.twitter.com/D1onPR2SOh
東京 港の情景 https://pic.twitter.com/QOhutdMM5C
永井均『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』発売中@hitoshinagai1
長年カント哲学に同伴してきた方にそう言っていただけると嬉しいです。 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1588293670218137601…
メタバース関係者はマクロな枠組みを吟味した方がよいかも知れない。実は長沼伸一郎氏も前掲書においてメタバースのマクロな枠組みに関して歴史を踏まえた(かなり暗鬱な)予想を述べている。何れにせよ信用創造を踏まえていない全ての「資本主義論」は致命的だ。#technology #capitalism #science
posted at 10:10:38 削除
https://pic.twitter.com/FM2fsI9UjW
https://pic.twitter.com/vqIOukdrrm
https://note.com/dharmazeroalpha/n/nf629ef2401bc…
先日アップした長沼伸一郎氏の経済書の紹介記事で述べたこの国に関する(根底的には #資本主義 システム自体に関する)グランドプランが着々と進行している。今年中にケリをつけるつもりなのかもしれない。#politics https://news.yahoo.co.jp/articles/faf8720c3214078871af1bed473dc1db20dc0a9f…
物理数学書としても哲学書としても非常にハイレベルで難しい。読了迄かなり時間がかかるだろう。
@hitoshinagai1 長年カント哲学に同伴してきて思いますがカント哲学がどれほど(一切の想像を遥かに超えて)抽象的であるのかは奇跡的なほどで(永井哲学が体系的に言語化されるまで)これまで未知の世界に等しかったと思います。
2022年11月03日(木)
@fantajista1089 概ねそう言えます。
永澤 護/dharmazeroalpha@XlGjfmYpCchopJ6
そろそろ読み始めることにしよう。
つまり〈現実性〉それ自体の〈力〉
補足 汎地球的社会実験 グローバル・ステルス・ストラテジーを巡って|永澤 護 /
直前のツイートの続き https://pic.twitter.com/fxnlu1fHTI
ラカンの一般理論化は不可能だとしても(またはだからこそ)この問いには意味がある。 https://pic.twitter.com/6quMmxRBq9
2022年11月02日(水)
@fantajista1089 @ganrim_ 通常の論理学ではないものです。
特にハイデガーとヘーゲルを使った一般理論化がまずい。
よってラカンを一般理論(グランドセオリー)化するのは不可能 決定版《ラカン派社会論》は成立不可能 『享楽社会論 現代ラカン派の展開』|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/n68735dd06058… #哲学
予想:超越論的統覚とその働き=超越論的図式機能は無内包の〈現実性〉の無内包の〈形式〉すなわち〈時空〉を産出する無内包の〈力〉である。#philosophy
@ganrim_ 先のサイトから転載します。「男性的アンチノ ミーが〈例外〉を伴う〈不完全性〉の障害であるのに対して、女性的アンチノミーは境界を欠いた〈非全体〉の表層における〈矛盾(非一貫性)〉の障害なので ある。」
@ganrim_ リュス・イリガライ
@ganrim_ 永井さんが引いていたイリがライのソースです。
@ganrim_ まさにラカンの性差の公式を思い起こします。男性は全体集合を前提したヘーゲル的否定判断・女性はnonAという無限集合のもとでの「全てではないという」カント的無限判断⇒リンクフリーだと思いますのでこのサイトリンクします。 https://yokato41.blogspot.com/2011/02/blog-post.html…
備忘録として。 #時間 を巡る二つの #哲学 的アプローチ Archives 「思うもの res cogitans」の思いがある限り時間も存在する ツイートセリー|永澤 護 /dharmazeroalpha #note #science #philosophy #p
2022年11月01日(火)
@fantajista1089 解析幾何学の収束発散の発散ですが実は説明に値しない勝手な「主張」です。気にしなくてよいかと。
二項対立的二分法に囚われているとされても。カントやプラトンは宿敵でありライプニッツはニーチェと違って「発散を肯定しきれなかった(ので中途半端)」等枚挙に暇がない。
その包摂を疑ってはいるがそもそもそれ以前に二項のうち一方(他方)をドゥルーズのようにあれだけ熾烈に批判攻撃するのだから仕方無いではないか? #哲学
もちろん「一元論的包摂」レベルがより上位階層にあるという反論は容易に予想できるのだが。
蛇足ながらカントやニーチェ以外の権威ある哲学者全てについて言える。 https://twitter.com/yoshimichi_bot/status/1587266860583596032…
@hitoshinagai1 訂正→「そのものが」
#ドゥルーズ において非常に目に付くのが二項対立的な二分法だがその起源がベルクソンであると言えるだろう。その #哲学 的根源は「離散性と連続性」の二項対立的二分法である。#philosophy #science
ベルクソンの「表象」批判は少なくとも #ショーペンハウエル には全く無効だと思われる。#science #philosophy #哲学 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1587209913000153088…
@hitoshinagai1 ドゥルーズですがやはりその決定的な哲学的起源はベルクソンだと思います
2022年10月31日(月)
@naoyoshi_suzuki @DrTomabechi ご承知の様に
@naoyoshi_suzuki @DrTomabechi 原子炉と述べましたがご承知な様により正確には核燃料施設のウラン濃縮用遠心分離機制御装置です。
@naoyoshi_suzuki @DrTomabechi 極めて高度に組織化された国家プロジェクトのもとでプロのエージェントのやったこととはいえイランの原子炉をUSBで失調させた有名なスタックスネットの事例が思い出されます。
@hitoshinagai1 他ならないデカルト『省察』の探究過程そのもの(同時に既に言語化されたそれを読み理解する過程そのもの)以外に何もないということかもしれません。
@hitoshinagai1 不可避的な風間くんの問いを経由すると「独在性の世界超越的な力と超越論的構成の世界構成的な力は不断に他方へと反転しない限りそれ自体としての力を働かせることができないというパラドキシカルで根源的な事態」が予想されます。現段階ではあくまで予想です。
補足 再投稿 信用創造の公理系としての #資本主義
再投稿 #資本主義 の信用創造に関連して。#capitalism
@hitoshinagai1 「〈私〉が負けちゃった気がして残念」という読後感の方は多いと思いますがカント以降カントが創設した「哲学」のリングそのもが本シリーズで「哲学」史上初めて根源的に問われたと言えますね。「それでもデカルトのコギトは全く無傷で生き残る」という記述一つでも決定的な「負けるが勝ち」です。
2022年10月30日(日)
例えば現政権の「岡っ引き」だから終わりまたは強く終わってほしいと思えることとは別に現政権の「岡っ引き」であることが因となって現政権(及びそれを組み込むネットワーク権力)が近い内に瓦解するという縁が「因縁」となるので「終わり」だという関数だろうか。#philosophy #politics #哲学
終わりの意味をより厳密に定義しておくといいだろうね。 https://twitter.com/AtaruSasaki/status/1577949153518587904…
東浩紀氏はもう活動しなくてもいいのではないか。哲学的(思想的にも)新規性は望めない。#哲学
「私: 不能の父は革命に挫折しそれを不能化した孟子の肖像でもある。T:東氏の思想には養子への幻想があるのですよ。それを彼は誤配とか郵便的とか言っている。なぜ彼にカルヴァン派(義父)のリアルが見えないのかの理由もわかりました」#philosophy #哲学 #現代思想
昨日アップされたが何度かよりわかりやすく編集した。 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1586264736995639298…
2022年10月29日(土)
再投稿 Archives #東浩紀 氏の『観光客の哲学の余白に(26)訂正可能性と反証可能性』へのコメント|永澤 護 /dharmazeroalpha #現代思想
https://www.amazon.co.jp/-/en/gp/customer-reviews/R3794C8VZYOMDP/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4000615599… 「交換様式D」の<力>へのいくつかの問い 。
@yamauchishiro 論理に
@yamauchishiro オッカムのラテン語と論理にを齧る程度でも学部時代に触れたからこそ後に(実川敏夫氏の演習)デカルトの『省察』に取り組めたのだと思います。
@yamauchishiro そこまでは少なくともデカルト『省察』に継承されていますね。しかも神の存在論的証明にとって最も枢要な概念として。私も最初は?と違和感を覚えましたがその後納得しました。また学部時代に清水哲郎氏のオッカム論理学大全の演習に出ましたがその独自な概念世界に魅了されました。
非常に素晴らしい推薦文だと思います。17世紀のデカルト、スピノザ、ライプニッツがもしいなかったら!! 全く想像することすらできません。
真に奇跡的な哲学の17世紀 https://twitter.com/irifuji/status/1585925371039711234…
その点は「マルクスその可能性の中心」から一貫している。 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1586152443255357441…
https://note.com/dharmazeroalpha/n/n658b892bff75… 先ほどこれをベースにアマゾンレビューを投稿した。月曜日以降にアップされると思う。柄谷行人氏は「それが何かわからなくても(だからこそ)命がけの飛躍をせよ!」と呼びかけている。それ(交換様式Dの力)はカント的な定言命法である。#philosophy 現代思想 #哲学
2022年10月28日(金)
「も含まれる」というかむしろ「と本質的に区別はない(つかない)」という意味において「複製体(レプリカ)の、少し緩く広げていえばゾンビ」(永井均氏)と言えるだろう。
この=付きの場合《私=我々》は #カント 的意味での有限的(何らかの時空形式としての直観形式を備えた)知的存在者一般として所謂人工汎用知能=AGIも含まれると考えられる。#哲学 #AI https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1585955926154285056…
@hitoshinagai1 作り出されるものが《私》で《私=我々》と言えるでしょうか? それともこの=は「作り出される」この段階では未だ不成立でしょうか?
哲学というより思想的なエッセイがありますね。思想の力と深さでは #マックス・ウェーバー の足元にも及ばないと捉えていますが。
もちろん念頭に置いているの科学の記述ではなく所謂哲学の記述である。 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1585831502327480320…
あらゆるカテゴリーを前提しながらそれに無自覚な記述がある。
@Taroupho その「思想」はともかくドストエフスキー『悪霊』のキリーロフは鮮烈でした。
@sitasimiyasui そうやってあらゆる(殆ど全ての)ことが統制可能ですね。哲学的な基礎付なしにも既にハイテク・AI がシステムを「忖度して」勝手にやっています。(忖度すら雲散霧消した完全悪夢の未来は括弧に入れます)
#科学 の形而上学化(その本来の探究方向・課題を示す=その本質を露呈させること) #physics #science #philosophy
2022年10月27日(木)
既に手元にあるが哲学書として(も)読みたい。#physics #science https://www.amazon.co.jp/dp/4065262496?ref_=cm_sw_r_apan_dp_ZRR50E0RV5QM6E01CBD0&dplnkId=59161573-8108-4f69-9882-49bd83ff9156…
@KawashimaToshi 空海研究書で興味深いものでした。空海と道元を英語で勉強する本×2 Kukai: Major Works by Yoshito Hakeda & Icons and Iconoclasm in Japanese Buddhism by Pamela D. #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/n23c91421a015…
@KawashimaToshi こちらこそよろしくお願いいたします。
先のラカンと一休宗純を巡る記事の冒頭 https://pic.twitter.com/0tIVQpstPO
@KawashimaToshi フォローありがとうございます。ご参考までに。例外的異端としての仏教・真言密教(井筒俊彦に見えなかったこと)『 #空海 の言語哲学 『声字実相義』を読む』by 竹村牧男|永澤 護 /dharmazeroalpha #哲学
無自覚に数概念または数直観を使っているように思える記述は苦痛である。 #philosophy #哲学
持続の「量」(最小限の持続とよりマクロな「通常の持続」の別領域への分割)を考えるなら持続それ自体=純粋持続の地平から離れると言えるだろうか。すなわち持続の「形式」または「条件」を考える場合。#哲学
@Camu3314 初めに極限・特異点・無限が(少なくとも潜在的に)あるのは同じです。それ以外あり得ません。
@Camu3314 数学(多分哲学も)において極限・無限・特異点は実は最初から潜在的に先取りされてると見ることもできます。そのことは物理学に引き継がれています。〈現実〉それ自体ですね。
2022年10月26日(水)1
ジャック・ラカン 言葉遊びと一休宗純の狭間 増補改訂版|永澤 護 /dharmazeroalpha #現代思想 の基本的な作法
@manma2020 必ずしも直ちに
@manma2020 ただしこれは直ちに必ずしも私自身の考えではありませんが。また明日以降に。
@manma2020 両者とも現象の直観的形式の話であり現在から未来へといった方向はそれら自体からは帰結しないように思われます。
@manma2020 「動く今」と「流れる時間」または「時間が流れる」はどのような関係にあるのでしょうか。
@hitoshinagai1 現代まで引き継がれた現代思想界の作法としてはラカンですね。もちろんラカンは非常に面白く素晴らしいので私も嘗てかなり読みましたが。
永井均『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』発売中@hitoshinagai1
もう一人はやはりフロイトですね。ニーチェやフロイトの話は非常に面白くて傾聴に値するものだと思いますが、カントがやっと切り開いた「ただ単に哲学的な」議論の水準から見ると、話にならないほど後退しているので。この観点から見ると、科学的議論もまた同じ穴の何かだという点が重要ですが
@hitoshinagai1 哲学的にはどうでもいい話で恐縮ですが、ドゥルーズがそうなった一つの要因に、『差異と反復』が典型ですが、ニーチェにあまりにも彼特有の安易な仕方で依存してしまったこと、またありとあらゆる哲学的な問いを何であれ自分なりに使える既製品の様に掻き集めてしまったことがあると思われます。
つまり真に究極的な問題は「数と線」と「〈私〉が数えることと線を引くこと」との関係性への問いである。
そしてこの段階でもなお数と線(または数えることと線を引くこと)への底知れない問いが残る。
ここで「パラドキシカルで根源的な事態」と述べたことの意味については『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか: 哲学探究3』の終章34と35特に266頁から267頁の注を参照。この「予想」は一つの決定的な哲学的真理だと思われる。#philosophy #science #哲学 #現代思想 https://amzn.asia/d/979M2Pu
2022年10月25日(火)
【予想】⇒独在性の世界超越的な力と超越論的構成の世界構成的な力は不断に他方へと反転しない限りそれ自体としての力を働かせることができない(というパラドキシカルで根源的な事態) #哲学 #現代思想 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1584776738273628162…
先の記事の改訂した記述部分② https://pic.twitter.com/yJCMwAJ9kA
先の記事を改訂した。どのみち解き得ないと思われるだろう哲学的な多体問題のごく簡単な素描。 https://pic.twitter.com/kBrjCr7qQK
#数学 的意味での予想⇒独在性において働く「世界超越的な力」と超越論的構成において働く「世界構成的な力」は同じ<現実性>の力の二つの効果https://note.com/dharmazeroalpha/n/nbccf8e566edd… #哲学
@path110 まさか全く敵いませんよみいあさんには。冗談はやめてください。(笑)
@path110 ファインマンの経路積分も解析と見てよいですか。
@path110 量子力学自体が解析と代数の二重の表現形式の等価性を持つわけですが知りたいのは接点とそのエッセンスです。
@manma2020 @Taroupho はい。それこそが核心です。
マンマのさんま Mk-2@manma2020
@XlGjfmYpCchopJ6 @Taroupho 詳細を有り難うございます
(頽落ではなく、)超越論的条件から図式にアプローチし、時間と空間を対応させるという考え方は、十分あり得るとは思います。ただ、それでもやはりこの問題は、そこから現在の進行方向という理解を可能にさせる図式が、どの様なものかが、問題のメインになるでしょうね。
@hitoshinagai1 というだけでは素朴過ぎるかもしれませんが。
@hitoshinagai1 素朴に言う場合の循環論理または前件先取のパラダイムですね。
永井均『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』発売中@hitoshinagai1
「多様」ってつまりはクオリアでしょ? クオリアという概念がじつはヨコ問題からの捏造物だという話は何度もしてきた。とすると、多様をある規則に従って繋げて纏めるという話は、はじめからパラドクシカルな論理構成になっているのではないかな?
永井均『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』発売中@hitoshinagai1
しかし、ドゥルーズの「超越論的経験論」の哲学的なつまらなさの話はそんなに興味深い話ではなくて、カントがせっかくもっぱら「権利問題」だけ取り出して語るという素晴らしい見地を切り開いたのに、それをまた事実問題に引き戻して何かを為したかのように思っているというそれ自体つまらない話です。
252頁の「(神経科学的なこととは全く無関係な)私自身が見ているという)絶対的確実性」があるからこそそのことを前提し逆手に取る神経科学的なハイテク詐欺師たちが現れる。#technology
@path110 非常に大変な問題なので何れでよろしいですが(直観でも構いません)「解析と代数の接点」は結局(数学概念限定でも広く物理数学的でもどのような見方かを含めて)どの当たりにあるのかご教示いただければさいわいです。既述の様に長沼伸一郎氏は線形代数の2行2列化=解析的2体問題化としています。
再投稿 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1575684825624637442…
@manma2020 @Taroupho 超越論的統覚自体及びその働きである超越論的図式機能は無内包でありかつ無内包の現実性の〈形式〉を産出する働きです。
@hiraiyasushi1 #カント の超越論哲学の場合「私が今数を数える」という行為は線を引くことで離散性と連続性を総合して産出することになりますがこの行為自体が運動の運動性の把握つまり時間(時空)の産出になります。
平井靖史『世界は時間でできている ベルクソン時間哲学入門』(青土社)発売@hiraiyasushi1
@XlGjfmYpCchopJ6 ベルクソンでも時間は運動からしか作られませんがその「数」がスケールに依存する、つまりマルチスケールに展開する点が異なります。
拙著序章の注でも書きましたがこの点で永井龍男1990がたいへん示唆的でした。
@hiraiyasushi1 ご著書を読みまた考えてみます。「マルチスケールに展開する」という表現からは複数座標系相互の変換可能性が前提され(てい)ると思われます。つまり複数座標系を既に俯瞰的に捉えるレベルが前提されていますので。
@hiraiyasushi1 了解です。アリストテレスの場合数える主体は潜伏的ですが(今私が)運動を数えるという行為自体が時間でありまた時間を産出するわけですが数はカテゴリとして前提されていますので一種の座標系(後のデカルト座標的なスケールシステム)も先取りまたは前提されていると思われます。
2022年10月24日(月)
思うもの=res cogitansの思いがある限り時間も存在する。#philosophy #哲学
ショーペンハウエル『意志と表象としての世界』の何と言っても素晴らしいところは意志と表象が「と」で結ばれていることすなわち意志と表象が等しく根源的だとされていることである。
@manma2020 @Taroupho 念のために補足すると、私自身の探究方向では「頽落」という概念または捉え方は実は存在しませんがまた後ほど。#philosophy #哲学
@manma2020 @Taroupho なお超越論的図式機能は「頽落した段階で」作動するものではありません。頽落の超越論的条件ですが。さらに永井氏のいう「今私が時計の針(の動き)を見る」という行為との関連を考える必要もあるでしょう。
@manma2020 @Taroupho 誤解を避けるには非常に慎重に書き下さなければならず上記はあくまで仮の記述です。
@manma2020 @Taroupho 純粋直観レベルとカテゴリレベルの「媒介レベル」ですがこれにより時間と空間が一対一対応して時空として成立しますがまた後ほど。
@manma2020 @Taroupho 先に谷口さんに返信したツイートにも関係します。アリストテレスの「時間は運動の数」という定義または構図とベルクソンの「時間の空間化批判」の有効性または無効性の問題です。
@manma2020 @Taroupho はい。その「図式」は私の学生時代からの問題関心というか探索過程では超越論的図式機能が思い浮かぶのですがまた後ほど。今仕事中ですので。今後もよろしくお願いします。
マンマのさんま Mk-2@manma2020
@XlGjfmYpCchopJ6 @Taroupho 私の元々の話でご説明させて頂くなら、「動く今」を問題にする際に、単に〈今〉が《今》に頽落して「動く今」の問題が考えられる様になったのではなく、頽落した段階で何かしらの(今が動くものとして捉えられる様な)図式が組み込まれてしまったから、考えられる様になったのだろうという話になります。
@manma2020 @Taroupho →「挟まっている」とは
@manma2020 @Taroupho 「挟まっているとは」どのように理解すればいいでしょうか。
@Taroupho 「まだ(未だ)」は不要でした。
@Taroupho 動く今の「移動方向」への問いとの関連性はまだ未解明ですが、先ほど「「時間とは運動の数である」という著名なアリストテレスの定義・根底的な哲学的構図にベルクソンの時間の空間化批判はどのレベルで有効なのかまたは無効なのか」という問いをある方に投げかけたところです。
@hiraiyasushi1 訂正→考えられていませんが
@dosgareos 一つの真理だと思う。
@yamcha789 @hideman2009 まさにソクラテスですね。ソクラテスはまだ東西文明の接点の磁場に立ち得ていたのでしょう。
@hiraiyasushi1 究極的問題ですが。
@hiraiyasushi1 このアリストテレスの定義というか根底的な哲学的構図にベルクソンの時間の空間化批判は結局どのレベルで有効なのかが非常に興味深い問いになると思われます。
@hiraiyasushi1 ベルクソンとは対極的に位置づけられることが多いように思われるアリストテレスの『形而上学』における著名な定義「時間とは運動の数である」(当然ながらここには数える「主観」は考えれていませんが)が想起されます。
@hiraiyasushi1 ベルクソンとは対極的に位置づけられることが多いように思われるアリストテレスの『形而上学』における著名な定義「時間とは運動の数である」(当然ながらここには数える「主観」は考えれていませんが)が想起されます。
2022年10月23日(日)
@hitoshinagai1 現にこの私だけに与えられているという制約における「私」が同じ仲間として括られた「デカルト・カントの批判」という既成パラダイムによって目の敵にしかならなかった(それが常識的な作法となった)のが英米系哲学(「デカルト劇場」のデネット等)を含む「現代思想」ですね。
@hitoshinagai1 というカントの弱点をドゥルーズは見ていないので。
@hitoshinagai1 「経験論」という枠組みで「超越論的構成」という哲学の根底的な岩盤を突破可能だと信じたのは非常に意外です。いや実は全く意外ではないかも。「帰納の問題」を突き詰めるならカント(の超越論的構成)も如何ともし難くなりますが不思議とカントはそこにも達していないので。
@hitoshinagai1 「経験論」という枠組みで「超越論的構成」という哲学の根底的な岩盤を突破可能だと信じたのは非常に意外です。いや実は全く意外ではないかも。「帰納の問題」を突き詰めるならカント(の超越論的構成)も如何ともし難くなりますが不思議とカントはそこにも達していないので。
永井均『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』発売中@hitoshinagai1
ドゥルーズも同じという点、完全に同意します。彼の「超越論的経験論」の哲学的なつまらなさはちょっと驚くべきレベルにあると私は思っているので。 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1583998021075087360…
訂正→行儀の良い
つまり統一は論の前提
周知のようにカントは背理法スタイルの思考実験「もし超越論的統覚の総合的統一がなければこの(言わば行儀な良い)与えられた多様は与えられた多様ですらない全くの狂乱的ラプソディになるから(権利上)ある」を行っている。
英米系(例えば「デカルト劇場」のデネット)も「デカルト=カント批判」というパラダイムの共有という点では概ね同様だと思われる。
「与えられている」のは「(私に与えられた)多様」
他者ではなくこの私だけに与えられているという原初の制約における「私」が同じ仲間として括られた「デカルト=カント批判」という既成のパラダイム・伝統( #哲学 業界の流行)によって目の敵にしかならなかったのが #現代思想
ドゥルーズのカント批判は「カントは結局「纏まり」の制約として「我々の良識」をデカルトと同様に前提している」というものだったが、カントと同様の超越論的構成という論の形式を共有している。#現代思想 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1583999574372659201…
@hitoshinagai1 『差異と反復』「感覚され得るものの非対称的総合」
@hitoshinagai1 全ての問題はそこですがカント研究者の方々はどれだきけ理解しているのかわかりません。我々=常識または良識に不全のない人物から出発しているのでは。ドゥルーズも同じだと思います。
@hitoshinagai1 はい。私も学生時代思わず笑っちゃいました。最初から問題解決済の地点にいるよなと。
永井均『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』発売中@hitoshinagai1
カントの「多様」では駄目でしょ? 多様って(まだ繋がってはいないが)もう纏ってはいるでしょ? 与えられる多様の限界づけにすでに独在性が働いている(他者に与えられる多様は私には与えられない)ので。与えられた多様を素材にしてそれらを「纏める」ことで「私」が成立するというお話はつまらねえ。
@hitoshinagai1 はい。私も学生時代思わず笑っちゃいました。最初から問題解決済の地点にいるよなと。
グローバル権力による #資本主義 の質的一元管理という最終作戦のためにメタバースが要請されたとすればそのシナリオは必ずしも成功しない。メタバースにはゴールドと通貨(信用創造)の管理能力はない。#現代思想 #capitalism https://note.com/dharmazeroalpha/n/nf629ef2401bc…
近々簡潔なスケッチ『数 線 コギト(「思うもの res cogitans」の思い) 「存在論」の彼方Ⅱ』を投稿予定。
https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1583415035971665920… 再投稿。重要な補足


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